暫く何も更新ができていなかったので、この時期にいつも思うことを書いて記事にします。
長文の割に結論は平凡なのですが、一アニメファンの思考回路として見ていただければと思います。
>>外国人も呆れる"エセチャリティ"『24時間テレビ』最大の過ちとは
もはや夏の風物詩として定着した『24時間テレビ 愛は地球を救う』。今年で32年目を迎えて募金総額は272億円にのぼるが、一方で毎年お約束のように囁かれるのが「チャリティ番組なのに出演者にギャラが出るってどうよ?」という素朴な疑問だ。
mixiニュースにも記事が取り上げられ、かなりの反響があるようです。(mixiでは、ニュース記事へのトラックバックのような形で参加者がエントリを立ち上げるシステムがある)
この記事そのものは、チャリティ番組で出演料が発生することの是非を問うものですが、mixi参加者のコメントの中には、従来より『24時間テレビ』のチャリティ手法を偽善的だと考えており、この記事へのコメントとしてその批判を展開する方も少なからずおられました。
話を整理しておきますと、日本テレビの『24時間テレビ』はご存知のようにチャリティと銘打った番組であり、特にある時期からチャリティ・慈善事業に特化した番組作りが目立つようになりました。
一方で上記記事にもある通り、出演者にギャランティが発生するという噂が絶えなかったり、日本テレビ側にも多くの収入を伴う企画でもあることから(噂レベルでは寄付額より制作費の方が高いという話もある)、「偽善である」という見方もなされています。
アニメファンの私としては、これで思い出すのが『私のあしながおじさん』なんですよね……と、これだけで私が何を言いたいのか分かる方は、かなりの世界名作劇場フリークでしょう。
『私のあしながおじさん』は20世紀初頭のアメリカを舞台とし、孤児院で育った少女・ジュディが、顔も名前も知らない慈善家の援助でハイスクール(原作ではカレッジ)へ進学するという設定で、そこで過ごす青春時代を描いた物語です。
ピンと来ない方は、『ガラスの仮面』の“紫のバラの人”のような設定と理解していただいても構いません(^_^;)
そのジュディですが、幼少時代の自分の服装が同級生から寄付として回ってきた“お下がり”だったり、教会での慈善活動を“満足そうに”行うお金持ちの姿に不信感を覚えるといった経験をしています。
これが最も端的に表れているのが、第7話「金貨の上手な使いみち」における、慈善箱を巡っての以下のようなやりとり。
ジュリア
「貧しい人達へ分け与えるのは私達の義務じゃなくって? 聖書の中に貧しき者、常に汝らと共にありという言葉があったわ。貧しい者がこの世にあるのは我々が常に慈善を行わせる為の神の意志であると教わったわ」ジュディ
「何ですってぇ~ それじゃあ貧乏人はお金持ちの役に立つ為に生まれて来たって言う事じゃない。お金持ちが慈善を施す為に必要だから神様がお作りになったわけ? 何かの間違いよそんなの。それじゃあ貧乏人はお金持ちの役に立つ家畜と同じじゃないの」
★セリフは世界名作劇場 - 私のあしながおじさん - ストーリー詳細より。
★「ジュリア」はジュディのルームメイト(同級生)で、名家の令嬢。
こうしたジュディの考え方はシリーズ前半を通して何度か登場し、そのたびに疑問を提示したまま終わるというパターンが繰り返されます。
転機が訪れるのが、第18話「感謝祭への招待状」、第19話「友よ、ともに歌わん」の前後編エピソードになります。
ジュディの友人・サリーは、学園の感謝祭に地元孤児院の子供たちを招待する計画を立てるものの、孤児たちが見世物にさせること等を憂慮するジュディは気が乗りません。
ところが、招待する予定の孤児院を視察したサリーとジュリアは、想像以上に酷い生活環境に絶句し、「招待する自信がなくなった」として計画を取り下げます。
そうした経緯のあった後、一人で孤児院を訪れたジュディと、そこで子供たちの世話をするメアリー先生のセリフです。
メアリー先生
「(……)でもだからと言っていつまでも暗い孤児院に一生隠れているわけにはいかないのです。いつかは世の中に出て行かなければならないのです。厳しい世間の目から決して逃げてはいけない、私はそう教育しています。みんな好きで孤児になったわけではありません。でも現実は孤児なんです。孤児は裕福な人の目に触れずどこかにひっそりと暮していればいいとお考えですか? 本当に慈善の心から差し出された寄付も、お金持ちの虚栄心を満足させるほどこしも、子供達の次の一歩に役立つという意味では同じお金なんです。それは社会に出て働く事かもしれませんし、高校進学かもしれません。だからキャンパスを見せてやりたいんです」
今回の『24時間テレビ』を巡る思案に関わるのは、下線を当てた部分です。
ギャランティ疑惑などは事実なのかどうかには拘りませんし、この番組が「偽善である」とする考え方の是非に意見するほどの情報を私は持ち合わせていません。
ただ、この『私のあしながおじさん』のエピソードに感銘を受けた身としては、「仮に偽善だとしても、それで必要な慈善活動が行えるならやれば良い」という思いを強く持っています。
まあ、テンプレート通りの“泣かせる演出”の繰り返しという構成は、(テレビ番組としては)ハッキリ言って面白くないとは思いますけれども(^_^;)
営利企業として自分たちが寄付金を出すつもりはないけれども、通常通りに出演料を払って番組を作って、その結果として集まった寄付金は慈善活動に役立てます……という手法は、道義的に最善ではないにしても、それなりに評価はされて良いと思う次第です。